竹取物語竹取物語001)かぐや姫の生ひ立ち今は昔、竹取の翁といふ者ありけり野山にまじりて竹を取りつつ、よろづの事につかひけり名をば讃岐の造となむいひけるその竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありけるあやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りたりそれを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうて居たり翁いふやう、「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ子になり給ふべき人なめり」とて、手にうち入れて、家へ持ちて来ぬ妻の嫗にあづけて養はすうつくしき事かぎりなしいと幼ければ、籠に入れて養ふ 竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけて後に竹取るに、節を隔てて、よごとに、黄金ある竹を見つくること重なりぬかくて、翁やうやう豊かになりゆく この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる三月ばかりになるほどに、よき程なる人になりぬれば、髪上げなどさうして、髪上げさせ、裳着す帳の内よりも出ださず、いつき養ふこの児の容貌のけうらなること世になく、屋の内は暗き所なく、光満ちたり翁、心地あしく苦しき時も、この子を見れば、苦しき事もやみぬ腹立たしきことも慰みけり 翁、竹を取ること久しくなりぬ勢ひ猛の者になりにけりこの子いと大きになりぬれば、名を、御室戸斎部の秋田を呼びて、つけさす。
秋田、なよ竹のかぐや姫とつけつこのほど三日、うちあげ遊ぶよろづの遊びをぞしける男はうけきらはず呼び集へて、いとかしこく遊ぶ竹取物語002)貴公子たちの求婚世界の男、貴なるも賤しきも、いかでこのかぐや姫を得てしかな、見てしかなと、音に聞きめでて惑ふそのあたりの垣にも、家の門にも、をる人だにたはやすく見るまじきものを、夜は安き寝もねず、闇の夜に出でても、穴をくじり、垣間見、惑ひあへりさる時よりなむ、「よばひ」とは言ひける 人の物ともせぬ所に惑ひ歩けども、なにの験あるべくも見えず家の人どもに物をだに言はむとて、言ひかくれども、事ともせずあたりを離れぬ君達、夜を明かし、日を暮らす、多かりおろかなる人は、「用なき歩きは、よしなかりけり」とて、来ずなりにけり その中に、なほ言ひけるは、色好みといはるるかぎり五人、思ひやむ時なく、夜昼来たりけりその名ども、石作の皇子・庫持の皇子・右大臣阿部御主人・大納言大伴御行・中納言石上麻呂足、この人々なりけり世の中に多かる人をだに、少しも容貌よしと聞きては、見まほしうする人どもなりければ、かぐや姫を見まほしうて、物も食はず思ひつつ、かの家に行きて、たたずみ歩きけれど、甲斐あるべくもあらず。
文を書きてやれども、返事もせずわび歌など書きておこすれども、甲斐なしと思へど、霜月・師走の降り凍り、水無月の照りはたたくにも、障らず来たり この人々、ある時は、竹取を呼び出でて、「娘を、われに賜べ」と、伏し拝み、手をすりのたまへど、「おのが生さぬ子なれば、心にも従はずなむある」と言ひて、月日過ぐすかかれば、この人々、家に帰りて、物を思ひ、祈りをし、願を立つ思ひやむべくもあらずさりとも、つひに男婚はせざらむやはと思ひて、頼みをかけたりあながちに心ざしを見え歩く これを見つけて、翁、かぐや姫に言ふやう、「わが子の仏、変化の人と申しながら、ここら大きさまで養ひ奉る心ざし、おろかならず翁の申さむこと、聞き給ひてむや」と言へば、かぐや姫、「何事をか、のたまはむことは、承らざらむ変化の者にて侍りけむ身とも知らず、親とこそ思ひ奉れ」と言ふ翁、「嬉しくものたまふものかな」と言ふ「翁、年七十に余りぬ今日とも明日とも知らずこの世の人は、男は女に婚ふことをす女は男に婚ふことをすその後なむ、門ひろくもなり侍るいかでか、さることなくてはおはせむ」かぐや姫のいはく、「なんでふ、さることかし侍らむ」と言へば、「変化の人といふとも、女の身持ち給へり。
翁のあらむかぎりは、かうてもいますがりなむかしこの人々の、年月を経て、かうのみいましつつのたまふ事を、思ひ定めて、一人一人に婚ひ奉り給ひね」と言へば、かぐや姫いはく、「よくもあらぬ容貌を、深き心も知らで、あだ心つきなば、のち悔しき事もあるべきを、と思ふばかりなり世のかしこき人なりとも、深き心ざしを知らでは、婚ひがたしとなむ思ふ」と言ふ 翁いはく、「思ひのごとくものたまふかなそもそも、いかやうなる心ざしあらむ人にか、婚はむと思すかばかり心ざしおろかならぬ人々にこそあめれ」かぐや姫のいはく、「何ばかりの深きをか見むと言はむいささかの事なり人の心ざし等しかんなりいかでか、中に劣り優りは知らむ五人の中に、ゆかしき物を見せ給べらむに、御心ざし優りたりとて、仕うまつらむと、そのおはすらむ人々に申し給へ」と言ふ「よき事なり」と承けつ竹取物語003)五つの難題-仏の御石の鉢日暮るるほど、例の集まりぬあるいは笛を吹き、あるいは歌をうたひ、あるいは唱歌をし、あるいはうそを吹き、扇を鳴らしなどするに、翁、出でていはく、「かたじけなく、きたなげなる所に、年月を経てものし給ふこと、極まりたるかしこまり」と申す「『翁の命、今日明日とも知らぬを、かくのたまふ君達にも、よく思ひ定めて仕うまつれ』と申せば、『ことわりなり。
いづれも劣り優りおはしまさねば、御心ざしのほどは見ゆべし仕うまつらむことは、それになむ定むべき』と言へば、これよき事なり人の恨みもあるまじ」と言ふ五人の人々も、「よき事なり」と言へば、翁、入りて言ふ かぐや姫、「石作の皇子には、仏の御石の鉢といふ物ありそれを取りて賜へ」と言ふ「庫持の皇子には、東の海に蓬莱といふ山あるなりそれに銀を根とし、黄金を茎とし、白き珠を実として立てる木ありそれ一枝、折りて賜はらむ」と言ふ「いま一人には、唐土にある火鼠の皮衣を賜へ大伴の大納言には、竜の頸に五色に光る珠ありそれを取りて賜へ石上の中納言には、燕の持たる子安の貝、取りて賜へ」と言ふ翁、「難きことにこそあなれこの国にある物にもあらずかく難きことをば、いかに申さむ」と言ふかぐや姫、「何か難からむ」と言へば、翁、「とまれかくまれ、申さむ」とて、出でて、「かくなむ聞こゆるやうに見せ給へ」と言へば、皇子たち・上達部聞きて、「おいらかに、『あたりよりだに、な歩きそ』とやはのたまはぬ」と言ひて、倦んじて、みな帰りぬ なほ、この女見では世にあるまじき心地のしければ、天竺にある物も持て来ぬものかは、と思ひめぐらして、石作の皇子は、心の支度ある人にて、天竺に二つとなき鉢を、百千万里のほど行きたりとも、いかで取るべきと思ひて、かぐや姫のもとには、「今日なむ、天竺へ石の鉢取りにまかる」と聞かせて、三年ばかり、大和の国十市の郡にある山寺に、賓頭盧の前なる鉢の、ひた黒に墨つきたるを取りて、錦の袋に入れて、作り花の枝につけて、かぐや姫の家に持て来て見せければ、かぐや姫あやしがりて見れば、鉢の中に文あり。
ひろげて見れば、 海山の道に心を尽くし果てないしの鉢の涙流れき かぐや姫、光やあると見るに、蛍ばかりの光だになし 置く露の光をだにも宿さまし を小倉の山にて何もとめけむとて、返し出だす鉢を門に捨てて、この歌の返しをす 白山にあへば光の失するかと鉢を捨てても頼まるるかなと詠みて入れたりかぐや姫、返しもせずなりぬ耳にも聞き入れざりければ、言ひかかづらひて帰りぬかの鉢を捨てて、また言ひけるよりぞ、面なきことをば、「はぢをすつ」とは言ひける竹取物語004)蓬莱の珠の枝庫持の皇子は、心たばかりある人にて、朝廷には、「筑紫の国に湯浴みにまからむ」とて、暇申して、かぐや姫の家には、「珠の枝取りになむまかる」と言はせて、下り給ふに、仕うまつるべき人々、みな難波まで御送りしける皇子、「いと忍びて」とのたまはせて、人もあまた率ておはしまさず近う仕うまつるかぎりして出で給ひ、御送りの人々、見奉り送りて帰りぬおはしましぬと人には見え給ひて、三日ばかりありて、漕ぎ帰り給ひぬ かねて、事みな仰せたりければ、その時、一の宝なりける鍛冶工匠六人を召し取りて、たはやすく人寄り来まじき家を造りて、竈を三重にしこめて、工匠らを入れ給ひつつ、皇子も同じ所に籠り給ひて、知らせ給ひたるかぎり十六所を、かみにくどをあけて、珠の枝を作り給ふ。
かぐや姫のたまふやうに違はず作り出でついとかしこくたばかりて、難波にみそかに持て出でぬ「船に乗りて帰り来にけり」と殿に告げやりて、いといたく苦しがりたるさまして居給へり迎へに人多く参りたり珠の枝をば長櫃に入れて、物おほひて持ちて参るいつか聞きけむ、「庫持の皇子は、優曇華の花持ちて、上り給へり」とののしりけりこれをかぐや姫聞きて、われは、この皇子に負けぬべしと、胸つぶれて思ひけり かかるほどに、門を叩きて、「庫持の皇子おはしたり」と告ぐ「旅の御姿ながらおはしたり」と言へば、会ひ奉る皇子のたまはく、「命を捨てて、かの珠の枝持ちて来たる」とて、「かぐや姫に見せ奉り給へ」と言へば、翁、持ちて入りたりこの珠の枝に、文ぞつけたりける いたづらに身はなしつとも珠の枝を手折らでさらに帰らざらまし これをも、あはれとも見でをるに、竹取の翁、走り入りていはく、「この皇子に申し給ひし蓬莱の珠の枝を、一つの所あやまたず、持ておはしませり何をもちて、とかく申すべき旅の御姿ながら、わが御家へも寄り給はずしておはしましたりはや、この皇子に婚ひ仕うまつり給へ」と言ふに、物も言はず、頬杖をつきて、いみじく嘆かしげに思ひたり。
この皇子、「今さへ、何かと言ふべからず」と言ふままに、縁に這ひ上り給ひぬ翁、ことわりに思ふ「この国に見えぬ珠の枝なりこの度は、いかでか辞び申さむ人ざまもよき人におはす」など言ひ居たりかぐや姫の言ふやう、「親ののたまふことを、ひたぶるに辞び申さむことのいとほしさに」と、取り難き物を、かくあさましく持て来たることをねたく思ひ、翁は、閨のうち、しつらひなどす 翁、皇子に申すやう、「いかなる所にか、この木はさぶらひけむあやしく麗しく、めでたきものにも」と申す皇子、答へてのたまはく、「一昨々年の如月の十日ごろに、難波より船に乗りて、海の中に出でて、行かむ方も知らずおぽえしかど、思ふこと成らで世の中に生きて何かせむと思ひしかば、ただ空しき風にまかせて歩く命死なばいかがはせむ生きてあらむかぎり、かく歩きて、蓬莱といふらむ山にあふやと、海に漕ぎただよひ歩きて、わが国の内を離れて歩きまかりしに、ある時は、浪荒れつつ海の底にも入りぬべく、ある時には、風につけて知らぬ国に吹き寄せられて、鬼のやうなるもの出で来て、殺さむとしきある時には、来し方行く末も知らず、海にまぎれむとしきある時には、糧尽きて、草の根を食ひ物としき。
ある時は、言はむ方なくむくつけげなるもの来て、食ひかからむとしきある時には、海の貝を取りて、命を継ぐ 旅の空に、助け給ふべき人もなき所に、いろいろの病をして、行く方そらも覚えず船の行くにまかせて、海に漂ひて、五百日といふ辰の時ばかりに、海の中にはつかに山見ゆ船のうちをなむ、せめて見る海の上に漂へる山、いと大きにてありその山のさま、高く麗しこれや、わが求むる山ならむと思ひて、さすがに恐ろしく覚えて、山のめぐりをさしめぐらして、二三日ばかり見歩くに、天人の装したる女、山の中より出で来て、銀の金椀を持ちて、水を汲み歩くこれを見て、船より下りて、『この山の名を何とか申す』と問ふ女、答へていはく、『これは蓬莱の山なり』と答ふこれを聞くに、嬉しきことかぎりなしこの女、『かくのたまふは誰ぞ』と問ふ『わが名は、うかんるり』と言ひて、ふと山の中に入りぬ その山、見るに、さらに登るべきやうなしその山のそばひらをめぐれば、世の中になき花の木ども立てり。