第一課 「まあまあ」にみる日本人の心 森本 もりもと哲郎てつろう 「そいつは、まあ、なんだな……」、「まあ、いいじゃないか」「まあ、 一杯 いっぱい」「まあ、そんなに遠慮えんりょせずに」、「まあ、待ま ちなさい」、「まあ、ひど い!」…… 日本語 に ほ ん ごの中なかで、いちばん便利べんりな言葉ことばは、「まあ」という慣用かんよう語ご であろう便利 べんりとい うことは、多義 た ぎ 語 ご [1] ということであるつまり、どんな場合 ばあいにも、いろいろな 形かたちで使つか うことができるということだ「そいつは、まあ、なんだな……」というときの「ま あ」は、いわば語句 ご く [2] の 間 あいだに挿 入そうにゅう[3] される間投詞かんとうし[4] とみてよかろうが、「まあ、 いいじゃないか」という場合 ばあいの「まあ」は、相手あいてを 促うながす[5] 意味い み を持 も っている次 つぎの 「まあ、一杯 いっぱい」も同様どうようだが、こちらの原義げんぎ[6] は、「先ま ず」ということであろう 次 つぎの「まあ、遠慮えんりょせずに」「まあ、待ま ちなさい」というときの「まあ」は 逆 ぎゃくに 相手 あいてを制止せいし[7] する用法ようほうで、最後さいごの「まあ、ひどい!」の場合ばあいは感嘆かんたん詞し [8] といってよか ろう。
こんなふうに「まあ」はさまざま 形 かたちで使つかわれ、しかも、その 間あいだに微妙びみょうな意味い み の 濃淡 のうたん[9] があるさらにその「まあ」を二ふたつ重かさねて「まあまあ」となると、之これはとうて い厳密 げんみつに意味い み を分析 ぶんせきできない日本語に ほ ん ごどくとくの 表 現ひょうげんとなる「お元気げんきですか?」とき かれて、「ええ、まあまあです」と答 こたえれば、特別とくべつに異状いじょうのないことを 表あらわし、 「明日 あしたの天気てんきはまあまあでしょう」と言い えば、快晴 かいせい[10] というわけではないが、さり とて[11] 雨 あめが降ふ るほど悪 わるくもな いと言い う意味 い み であるしいて英語 えいごに訳やくせば、 not bad(悪 わるくない)ということになろうか 「まあ」と同様 どうよう、「まあまあ」は相手あいてを 促うながしたり、制止せいし[12] したりするときにも 盛 さかんに使つかわれる「まあ、ひどい!」と相手あいてが怒おこった時とき、「まあまあ、そう怒おこらない で」となだめる[13] 相手 あいての「まあ」は感嘆かんたん詞し だが、それを制止 せいしする「まあまあ」の ほうは副詞 ふくし 的 てき用法ようほうとなる。
だが、その「まあまあ」も感嘆 かんたん詞し としても使 つかわれるのだからなんともややこしい[1] 例 たとえば、「まあまあ、それはよかった!」、あるいは、「まあまあ[2] 、そいつはとん だ[3] 災難 さいなん[4] だったねえ」などというときの「まあまあ」は明あきらかに感嘆かんたん詞し といって よかろう 更 さらに、「まあまあ」には、だいたい、という意味い み もある「試験 しけんはどうだった?」 ときかれて、「まあまあです」と言 い えば、だいたいできたということであるでは、そ のような場合 ばあいのだいたいとはどの程度ていどなのだろうか国語こくご辞典じてん[5] によれば、「かなりの 程度 ていど」と言い うことだが、それなら、かなりとはどのくらいなのか、と更 さらに理詰り づ め[6] で 追 求 ついきゅう[7] されればけっして明確めいかくには答こたえられないあとは感かんじに頼たよるだけであるし たがって、日本人 にっぽんじんの 間あいだで暗黙あんもく[8] のうちに 了 解りょうかいされているその程度ていどをつかまない限かぎ り、このような表 現 ひょうげんは正確せいかくな 情 報じょうほうを伝つたえ得え ないと言 い うことになる。
一体 いったい、その 「程度 ていど」とは、どのくらいの程度ていどなのか いつごろ、だれが決 き めたのか分 わ からないが、我 わ が国 くにに「日本にっぽん三景さんけい[1] 」というのがあ る日本 にっぽんの中なかで 最もっとも 美うつくしいと思おもわれる三みっつの景 勝けいしょう地ち [2] を選 えらんだもので、周知しゅうち [3] のように宮城 みやぎ 県 けん[4] の「松島まつしま[5] 」、京都きょうと府ふ の「天 あまノ橋立はしだて[6] 」、そして広島ひろしま県けん [7] の「宮島 みやじま[8] 」であるおそらく中 国ちゅうごくの「 瀟 湘しょうしょう八景はっけい[9] 」とか「西湖せいこ 十 じゅっ景けい」な どにならって[10] 、室町 むろまち期き [11] か江戸 え ど 時代 じだいにだれが言い うともなく人 ひとの口くちに上のぼる[12] よう になったものに違 ちがいない それはともかく、この「三景 さんけい」を思おもい浮う かべて[13] みると、そこに共 通 きょうつうした性格せいかく があることに気 き づく第 だい一いちに、いずれも海辺うみべの景色けしきであるということだ。
日本にっぽん列島れっとうに はまるで背骨 せぼね[14] のように山 脈さんみゃく[15] が 南みなみから北きたまで走はしり、日本にっぽんを日本海にほんかいと太平洋たいへいよう側がわ の二 ふたつに分わ けているほとんどが山 やまといってもいいほどなのに、「三景さんけい」の中なかに一ひとつ も山 やまの風景ふうけいが入はいっていないこれは 誠まことに奇妙きみょう[16] なことではないか 第 だい二に に、その海岸 かいがんの景色けしきが皆みな穏おだやかな内海ないかい[17] に望のぞむこぢんまり[18] とした浜はま [19] で、すぐ目 め の前 まえに小ちいさな島しま、あるいは州す [20] が見 み えるといった景観 けいかん[21] であること だ逆巻 さかまく[22] 波なみが打う ち寄 よ せる[23] 雄大 ゆうだい[24] な海岸線かいがんせんはまったく見捨み す てられて[25] い る「三景 さんけい」に限かぎらない日本人にっぽんじんが名所めいしょや 歌 枕うたまくら[26] としてめでる[27] 風景ふうけいは、例たとえ ば「須磨 す ま [28] .明石 あかし[29] 」にしろ、高知こうち 県 けん[30] の「桂 浜かつらはま[31] 」にしろ、伊勢い せ [32] の 「二見 ふたみけ浦うら[33] 」にしろ、秋田あきた 県 けん[34] の「象潟きさかた[35] 」にしろ、岩手いわて 県 けん[36] の「浄土ヶ浜じょうどがはま [37] 」にしろ、そのすべてが同工異曲 どうこういきょく[38] の眺ながめ[39] である。
海うみといっても男性だんせい的てきな 荒海 あらうみ[40] ではなく、女性じょせい的てきな優やさしい入い り江 え [41] に日本人 にっぽんじんは 心こころ引ひ かれる[42] のであ る 荒海 あらうみを乗の り切 き って[1] この列島 れっとうにたどり着つ いた[2] 日本人 にっぽんじん、そして海うみに取と り巻 ま かれなが ら[3] 生活 せいかつを重かさねて[4] きた日本にっぽん民族みんぞく、当然とうぜん日本人にっぽんじんは海洋かいよう民族みんぞくになってしかるべき [5] であるところが、私達は、海洋民族にはならなかったなぜなら、日本人 にっぽんじんは二度に ど と 再 ふたたび恐おそろしい海うみへ乗の り出 だ そう[6] とはしなかったからであるむろん、海洋 かいようへの 冒険 ぼうけんを 試こころみた[7] 日本人にっぽんじんがいないではなかったしかし、それは極きわめてわずかな例れいに 過 す ぎず、バイキング[8] として海 うみをのし歩あるいた[9] 北欧ほくおう[10] 人じんや、大だい航海こうかい時代じだいを 現 出げんしゅつ [11] させたスペイン[12] 、ポルトガル[13] 、イタリア[14] などの民 たみ[15] や、七ななつの海うみを 制覇 せいは[16] したイギリス人じん、更さらには海洋かいよう貿易ぼうえきに活躍かつやくしたインド人じんや中 国 人ちゅうごくじんなどと比くらべ れば日本人 にっぽんじんはまったく海うみを相手あいてにしなかったと言い ってもいい。
そんな訳 わけで山崎やまざき正和まさかず氏し は日本人 にっぽんじんを海洋かいよう民族みんぞくならぬ海岸かいがん民族みんぞくだと 評ひょうしているまさしく[17] そのとおりだと 思 おもう では、なぜそうだったのか、日本 にっぽんという島しまがあまりに住す み心地 ここちよかったからではあ るまいか温暖 おんだんで湿 潤しつじゅん[18] な気候きこう、変化へんかに富と んだ山河 さんが[19] 、外敵がいてき 侵 入 しんにゅう[20] のおそれ のない安全 あんぜんな島国しまぐに、こんな快適かいてきな国土こくどに住す み着 つ いた[21] のに、どうして今更 いまさら海うみへ出で て いくことがあろうここで仲 なかよく暮く らせばそれで十 分 じゅうぶんではないかあの恐おそろしい航海こうかい 体験 たいけんを、なんで 改あらためて 試こころみることがあろうか海うみのかなた[22] には、もっとすばら しい未知 み ち の土地 と ち があるかも知 し れないしかし、欲 よくを出だ せばきりのない 話 はなしだこの島しまで 結構 けっこうここで安やすんじて[23] 暮く らすにしくはない[24] 。
こうして日本人 にっぽんじんは太古たいこの記憶きおくを 甘美 かんび[25] な思おもい出で として胸 むねに抱いだきながら、それ以上いじょうを望のぞまなかったのである「日本にっぽん 三景 さんけい」はこのような日本人にっぽんじんの気質きしつ[26] を何なによりも正 直しょうじきに語かたっているのだ とはいえ、この小 ちいさな島しまに住す み着 つ いた人 ひとたちがなんの 争あらそいもなく平穏へいおん[1] に暮く らせた というわけではけっしてないこの島国 しまぐにの中なかで、日本人にっぽんじんは幾多いくた[2] の戦乱せんらんを経験けいけんして きただが、いくら 争 あらそってみても、周まわりが海うみなのであるから逃に げ出 だ す[3] 訳 わけにはいか ない最 終 さいしゅう的てきには何なんらかの 形かたちで敵てきと妥協だきょう[4] し、共 存きょうぞん[5] する道みちを探さぐらねばならな がった必要 ひつようなことは、「分ぶんに安やすんじる」ことであり、それによって「和わ [6] 」を保 たもつ ことだった「分 ぶんに安やすんじる」とは、 必かならずしも「身分みぶん[7] に安やすんじる」ことばかりで はない。
相手 あいてのいい分ぶんに安やすんじることでもあり、常つねに一定いっていの限度げんど[8] を守まもることでもあ るそれがなによりも、「和 わ 」に必要 ひつようなのだ一定いっていの限度げんどを守まもるということは、それ 以上 いじょうを望のぞまぬということである 己おのれを抑制よくせいすることである そんな訳 わけで日本人にっぽんじんは、自分じぶんをやたら[9] に主 張しゅちょうしてはいけない、そして、物事ものごとを あからさま[10] にすべきではない、と 考 かんがえるようになった自分じぶんを 主 張しゅちょうすれば、 当然 とうぜん相手あいての 主 張しゅちょうとぶつかることになるし、物事ものごとをはっきりさせれば、いやおうなく [11] 相手 あいてとの食く い違。