源氏物语日语论文7400字 源氏物語レポート~若菜上の女三の宮をめぐって~女三の宮の主体不在物語の始まりから、光源氏の腹違いの兄弟、朱雀院がすでに女三の宮のことに特別に気になっている「今は、と背き捨て、山籠りしなむ後の世にたちとまりて、誰を頼む陰にてものしたまはむとすらむ」とおっしゃる女三の宮の将来のことを適切に処理しないと、自らの出家も困難であることを考えるそれで、皇子春宮が見舞いの際、さっそく相談の意思を伝える「その中に、後見などあるは、さる方にも思ひ譲りはべり、三の宮なむ、いはけなき齢にて、ただ一人を頼もしきものとならひて、うち捨ててむ後の世に漂ひさすらへむこと、いといとうしろめたく悲しくはべる」と、御目押し拭ひつつ聞こえ知らせさせたまふ朱雀院の言葉に、女三の宮の姿がただ後見なく、幼い年であるとちらっと描写される事実上、若菜(上)を通観しても、女三の宮についての描写は決して多くないのであるしかも、その一部は他人の会話による間接的なものである本巻の重要人物にもかかわらず、淡々しく悲しい雰囲気が設定されている春宮にお願いしたが、女三の宮の場合は特殊である朱雀院は、承香殿の女御にお願いしたいが、彼女はかつて女三の宮の母、藤壺の女御との間、齟齬があったので、本気で女三の宮の世話をしてくださらない可能性は十分考えられる。
そこで朱雀院は、新しい後見探しに出発するまずターゲットとなったのは、見舞いに来た源氏の息子夕霧である夕霧は)二十にもまだわづかなる程なれど、いとよく整ひすぐして、容貌も盛りににほひて、いみじくきよらなるを、御目にとどめてうちまもらせたまひつつ、このもてわづらはせたまふ姫宮の御後見にこれをやなど、人知れず思し寄りけりしかし、夕霧は好意を受けずにいた女房たちが夕霧を覗き見の際、朱雀院は、源氏と夕霧を比べてみたある程度、婿選びの心得ができたこれは以下の基準である「見はやしたてまつり、かつはまた、片生ひならむことをば見隠し教へきこえつべからむ人のうしろやすからむに、預けきこえばや」それに、昔源氏が式部卿の親王の娘を育てたような人を見つけたいと、説明を加えるつまり、降嫁の条件の一つは、容姿はもちろん、父代わり役のできる人ということである 結局、乳母の意見を聞き、婿選びの候補者に源氏を視野に入れる乳母の兄左中弁によると、源氏は女性のことで悩んでいる「女の筋にてなむ、人のもどきをも負ひ、わが心にもあかぬこともある」今の源氏の身分にあう女性がいないもし朱雀院が女三の宮を源氏に嫁がせると、御似合いの二人であるとコメントする。
その意見を乳母が朱雀院に伝えるそして、以下のようなコメントを加える「程々につけて、人の際々思しわきまへつつ、あり難き御心ざまにものしたまふなれど、ただ人に、またかかづらひ思ふ人立ち並びたることは、人の飽かぬことにしはべめるを、めざましきこともやはべらむ御後見望みたまふ人々はあまたものしたまふめりよく思しめし定めてこそよくはべらめ」乳母によると、六条院は、女君の身分に応じてそれぞれの待遇を与えているが、普通の人でも、自分以外、女性がそばにいるのは抵抗感があるだろうと、女三の宮を源氏に降嫁させる潜在的な問題を指摘するしかし、続いて一方では、女三の宮の欠点を列挙し、彼女の場合、お仕えの女房だけでは能力に限度がある婿はどうしても必要であると強調する「姫宮は、あさましくおぼつかなく、心もとなくのみ見えさせたまふに、さぶらふ人々は、仕うまつる限りこそはべらめおほかたの御心掟てに従ひきこえて、さかしき下人も靡きさぶらふものしたまはざらむは、なほ心細きわざになむはべるべき」上記の言葉は、朱雀院の図星にあたるか、彼は、乳母に内心の困惑を吐くそれをまとめてみると、大まかに降嫁と独身の二者択一の意見であるが、降嫁だと、女子は夫がいると、悔しい思いといやな思いが自然に生じる。
独身だと、両親のカバーが失った後の生活は心配である朱雀院の次の言論は、宿命論にかかわり、「宿世などいふなることは知りがたきわざなれば、よろづにうしろめたくなむ」と、一層悲観的となったそれで、源氏のイメージが再び浮上、彼とほか諸々の婿候補と吟味していく具体的に見てみると、源氏は、「のどかに落ちゐて、大方の世の例」で、兵部卿宮は「人柄はめやすしかし」が、「あまりいたくなよびよしめく程に、重き方おくれて、すこし軽びたるおぼえや進みにたらむ」また、大納言と右衛門督は、それぞれ「さすがにいかにぞや(あまりに身分の異なる1)」と、「まだ年いと若くて、むげに軽びたる程なり」の欠点がある注意しなければならないのは、これまでの婿選びに、女三の宮本人は、一度も顔を出してないのであるいわゆる本人の好みで結婚を進めるのではないのである東宮はこの際、建言する「さし当りたるただ今の事よりも、後の世の例ともなるべき事なるを、よく思しめしめぐ1鈴木一雄ほか『源氏物語の鑑賞と基礎知識 No.3 若菜上(前半)』75頁らすべき事なり」ここで、新しい降嫁の条件が東宮によって提示されたつまり、降嫁は、ただの結婚ではなく、後世の好例ともなるべきこと。
これはいわゆる対等たる身分のことそして六条院を薦めたわけであるその後また屈折があって、源氏は自分の残った寿命がわずかということで、断って、夕霧を薦めていたその理由としては、夕霧は年が若くて、身分が軽いですが、将来性があって、人柄も朝廷の「御後見」になるだろうと説明しているしかし、源氏は、朱雀院の考え方を自分なりに理解しようとしている「けれど、中納言はとても真面目で、好きな人が決まっているので、それに遠慮しているでしょう」と推測するそこで、源氏は冷泉帝を推薦するしかも朱雀院の悩みがわかっているように、詳しい説明を付け加えている後先は必ずしも寵愛の順序と一致しないのであるという源氏はこの問題を自ら取り上げているということは、冷泉帝によって寵愛されることの大切さを示しているしかし、それだけは朱雀院の意に合っていないのである朱雀院が出家した後の話である二人が久しぶりに対面し親しく語る場面である院も、もの心細く思さるるに、え心強からず、うちしほれたまひつつ、いにしへ、今の御物語、いと弱げに聞こえさせたまひて、「今日か明日かとおぼえはべりつつ、さすがにほど経ぬるを、うちたゆみて、深き本意の端にても遂げずなりなむこと、と思ひ起こしてなむ。
かくても残りの齢なくは、行なひの心ざしも叶ふまじけれど、まづ仮にても、のどめおきて、念仏をだにと思ひはべるはかばかしからぬ身にても、世にながらふること、ただこの心ざしにひきとどめられたると、思うたまへ知られぬにしもあらぬを、今まで勤めなき怠りをだに、安からずなむ」朱雀院の出家願望がいよいよ実現し、残りの寿命を仏教修行に使われたいのである今日か明日かやろうと思いながらも、歳月が経ってしまって自分が怠け者で仏教習得の願望を果たせないのを恐れて、いよいよ決心できて、出家ができたしばらくは山の生活が始まらないけれども、のんびりできて、念仏だけはできると思う私のような体の弱い人間でさえ今まで生き続けるとは、まさにこの修行の願望が命を留保させたのであるわからないことはないが、本当に怠け者で、修行しないことが気がかりである長々しく思いを源氏に伝えてから、朱雀院はいよいよ女三の宮の件を言及した特に心配の気持ちを源氏に伝えたのであるこのときの源氏は、気持ちが複雑で、自分の思いを込めて、婿選びに関する意見を朱雀院に述べる「げに、ただ人よりも、かかる筋には、私ざまの御後見なきは、口惜しげなるわざになむはべりける。
春宮かくておはしませば、いとかしこき末の世の儲けの君と、天の下の頼みどころに仰ぎきこえさするを まして、このことと聞こえ置かせたまはむことは、一事として疎かに軽め申したまふべきにはべらねば、さらに行く先のこと思し悩むべきにもはべらねど、げに、こと限りあれば、公けとなりたまひ、世の政事御心にかなふべしとは言ひながら、女の御ために、何ばかりのけざやかなる御心寄せあるべきにもはべらざりけりすべて、女の御ためには、さまざま真の御後見とすべきものは、なほさるべき筋に契りを交はし、えさらぬことに、育みきこゆる御護りめはべるなむ、うしろやすかるべきことにはべるを、なほ、しひて後の世の御疑ひ残るべくは、よろしきに思し選びて、忍びて、さるべき御預かりを定めおかせたまふべきになむはべなる」源氏の意見はまとめて見ると、以下のようになる①女三の宮の身分が特殊なので、身内の後見人が必要で、東宮はそれにあたる②東宮は皇位につき、政治に取り組むと、女三の宮の面倒をどれだけ見てくれるか疑問がある③後見になる人は、やはり夫として責任を持って面倒を見てくれる保護者であることが安心できる④心配ならこっそりと婿選びで婿がねを決めればよいのである。
「身内」の後見人のもっとも有力の東宮を源氏はあくまで否定し、新しい婿を「よろしきに思し選びて、忍びて」決めると説く自分が婿がねとしての可能性を仄めかしていると思われるそこで朱雀院が正式に女三の宮を源氏にお預けするお願いした源氏は彼女は、自分のもとで面倒を見られる以上、身内の後見人がいることと同然と保証し、「ただ行く先短くて、仕うまつりさすことやはべらむと、疑はしき方のみなむ、心苦しくはべるべき」と言いながらも、承引したのである女三の宮の婿えらびは、これで、朱雀院と源氏との二人の相談で決めたので、本人が直接に参与していない作者は婿選びに関する女三の宮の気持ちを真正面から描写されてない彼女の思いはどうだろうか読者まかせになっているしかし、いずれにせよ、女三の宮が婿選びに関して自己主張してないのが明らかである乳母の指摘したとおり、女三の宮が「あさましく、おぼつかなく、心もとな」、残念ながら、婿選びの最後の場面に至るまで意見を持つ主体的な立場が不在のままである対比のなかの女三の宮さて、作者の筆は一転して、紫の上の反応に関する描写で、物語の進展を図ろうとしている一般的に言えば、女三の宮の幼さはそのまま続くこととなっているが、先行の論では、異なる意見も出ている。
例えば、伊佐山潤子氏によると2、女三宮の?幼稚さ?は動かし難いものに見えるが、それはあくまで登場人物のコメントに基づくものである女三の宮の幼さにかかわる「二五例の語のうち、明らかに地の文で用いられているのはわずかに二例それを除く残り二三例はすべて会話文中か、消息文、心中言にみられるもの、あるいは誰かの視線を通して書かれた文の中にあるものである」幼稚さ?を証明するような具体的描写がないことと述べているさらに、年齢の差はともかく、朱雀院、乳母、源氏、紫の2伊佐山潤子「『女三の宮の幼さ』について―「若菜上」巻の読みの試み―」上が「それぞれが女三の宮をことさらに子ども扱いする理由を有している」としている 確かに会話文で、女三の宮を実際より幼稚な子という台詞が見られるが、女三の宮の?幼稚さ?は決してコメントだけに存在しているわけではないのである会話文による情報はこの新しい登場人物の背景として理解できるのではないかまた、作者は、降嫁が決まった後、紫の上と女三の宮との対比のなか、後者の幼さを暗示している以下は具体的に見てみよう先ほどの話が続いて、源氏は結婚のことを承諾して、六条院に戻るしかし、様々なことで悩まされる。
「この事をいかに思さむわが心はつゆも変はるまじく、さることあらむにつけては、なかなかいとど深さこそまさらめ、見定めたまはざらむほど、いかに思ひ疑ひたまはむ「この事」は当然婿選びで、白羽の矢が立ったということで、源氏の心の矛盾。